梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

教訓Ⅱ・《殺されても殺すな!》

 「チャンスは前髪でつかめ!」「後ろを振り向くな!」「一歩後退、二歩前進!」などなど、若者への檄はとにかく未来に向かうことを是としているようです。そのことに異論はありませんが、前に進むためには「今、自分はどこに立っているか」というスタート・ラインを明確にすることが大切です。まず、今、自分がここに居るのは、親の存在があったからです。その親にも親があり、またその親にも親があり・・・、というように先祖代々の結果として、今の自分が居るのです。だとすれば、前に進もうとする前に、後ろを振り返ることも無駄ではないでしょう。両親はどのような生活をしていたか、どのような時代を生きてきたのか、同様に祖父母の時代はどのようなものだったのか、それ以上さかのぼると情報は激減し、はっきりとイメージすることが難しくなります。しかし、その時代時代の産物は「歴史」(文化)として残っています。
 私が生まれた時代(1944年)まで、日本は戦争をしていました。戦争とは自分や自分の家族を守るために「人を殺す」ことです。そして自分も死ぬことです。殺したり、殺されたりすることを容認することです。人類の歴史は「戦争の繰り返しだ」といっても言い過ぎではないでしょう。しかし、「先の大戦」(第二次世界大戦)で日本は敗れ、この70余年間、戦争はありませんでした。日本は戦争をすることができなくなってしまったのです。そのおかげで、私たちは戦争で殺すことも、殺されることもなくなりました。そのことを是とするか非とするか、今、一人一人に問われているのです。
 私自身は「戦争で自分や自分の家族を守ることはできない」と、思っています。戦争で得られるものは何もありません。かつて日本は戦争に勝利し、国土を広げましたが、それを守るために再び戦争を繰り返し、結局は300万余りの人々を犠牲にしました。その人々は靖国神社、その他全国各地の寺社などに建てられた慰霊碑に名前が刻まれ、英霊として祀られています。しかし、失われた命はもう還ってきません。「二度と戦争という罪を犯すな」と言う犠牲者の声が私には聞こえます。国民の一人は「あなうれしとにもかくにも生きのびて戦やめるけふの日にあふ」(河上肇)という歌を詠んでいます。戦争に勝つことではなく、敗れることが「うれしい」と感じているのです。それは戦争を体験しなければわからないことですが、戦争を体験しなくてもわかる「想像力」を養わなければならないと思います。
 今もなお、世界の国々は戦争をしています。自分や自分の家族を守るために、自分の国を守るために戦争をしています。しかし、勝っても負けても、得られるものは何もないのです。「正義」だとか「名誉」だとか「栄光」だとか、すべては嘘です。まやかしです。人を戦争に駆り立てるための詭弁です。先人には「汝の敵を愛せ」と説いた人もいましたが「聖戦」という言葉に惑わされて、多くの人が「殺人」という罪を犯しました。
 戦争のために立ち上がってはいけません。「意気地なし」でよいのです。「弱虫」でよいのです。人を殺すくらいなら、殺される方がまだまし、と思うことだけがが、人々を戦争から救うのです。《殺されても殺すな!》、それが人類に与えられた最後の教訓ではないでしょうか。(2016.12.12)