梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「足利事件報告書」は《報告不十分》

 東京新聞朝刊(8面)に、「足利事件報告書の要旨」(「足利事件における警察捜査の問題点について」・警察庁)が載っている。その中で、「報告不十分」と思われる件について感想を述べる。この事件の要点は、なぜ菅谷さんを「犯人」と見誤ったか、という一点に他ならない。①DNA型が一致したから、②菅谷さんが自白したから、という根拠は成り立たない。そのことは、以下の【捜査経過】を参照すれば明らかである。〈1990年5月、栃木県足利市のパチンコ店付近で女児=当時(四つ)=が行方不明となり、近くの渡良瀬川河川敷で遺体で見つかった。栃木県警捜査本部は、幼稚園の送迎バス運転手菅谷利和さんがパチンコ好きで、アリバイがはっきりしないことから、菅谷さんの行動を確認。女児の下着に付着した体液と菅谷さんのDNA型が合致するとの鑑定結果(千人に1.2人程度の精度)を出した。91年12月、菅谷さんを任意同行、殺人などの容疑で逮捕した〉ということである。事件発生が1990年5月、菅谷さん逮捕が1991年12月、つまり事件発生から1年7か月後に菅谷さんは逮捕されているのである。その間、警察はどのような捜査をしていたのだろうか。いわく「菅谷さんの行動を確認」、要するに「尾行」「張り込み」ではないか。なぜ1年7か月もの間、警察は菅谷さんを「泳がせて」いたのだろうか。「パチンコが好き」「アリバイがない」という理由だけで、菅谷さんに「目星をつけた」のはなぜか。当然、「菅谷さんが怪しい」という情報があったからであろう。その情報こそが、菅谷さんを犯人と見誤らせた根拠に他ならないではないか。その情報を提供したのはどこの誰か。(その中に真犯人がいるかもしれないのだ)そのことが、全く報告されていない。そうである限り、今回の報告書は、結果として「真犯人を隠蔽・擁護」することになり、被害者の女児、その遺族に対して、つゆほどの謝罪もしていないということになる。 記者会見で最高検の〈伊藤次長は、菅谷さんの長期間の服役や、真犯人を取り逃がし、国民の期待や信頼を損ねたことを謝罪〉(同紙・28面)したそうだが、文字通り「謝って済むなら警察(検察)はいらない」のである。本当に謝罪するというのなら、直ちに「真犯人解明」の捜査に着手すべきではないか。時効成立?、バカをいってはいけない。その時効成立を可能にしてしまった「真犯人」こそ、冤罪作りの立役者「司法当局」ではなかったのか。フリー百科事典『ウィキペディア』には「冤罪」の「原因」として以下の一節がある。〈捜査機関以外の私人の行為が原因となって冤罪が発生する場合がある。例えば、真犯人が自分に対する量刑を軽くするために、他人に罪をなすりつけた事例(梅田事件、八海事件、牟礼事件、山中事件、富山・長野連続女性誘拐殺人事件など)が存在する〉(http://ja.wikipedoa.org/wiki/
)今や、足利事件がその事例に該当することは明らかであろう。真犯人は「自分に対する量刑を軽くするために」(どころか、警察・検察、裁判所のお力添えによって、時効成立、お咎めなし)、菅谷さんに罪をなすりつけたばかりか、さらに、忌まわしい「再犯」を重ねているかも知れないのだから・・・。
(2010.4.2)