梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

知の巨人・吉本隆明の「老い」

午後10時から「ETV特集 吉本隆明 語る~沈黙から芸術まで~」(NHK教育テレビ)を観た。インターネットの解説記事(?(http://d.hatena.ne.jp/shibahama/20090104/p9)には以下のように記されている。〈『84歳戦後思想界の巨人▽2千人の聴衆に熱く語った思想の核心とは▽3時間の公演を凝縮▽皇国青年敗戦の衝撃▽“芸術言語論”とは▽言語の根幹は沈黙▽漱石・鴎外を読み解く▽糸井重里の問いかけに知の巨人はどう答えたのか 国家論から大衆文化まで、あらゆる事象を縦横に論じてきた吉本隆明さんが昨年夏に行った講演会の模様を送る。戦後思想界の巨人と呼ばれた吉本さんは84歳になった今も、自らの「老い」と向かい合いながら思索を続けている。そんな中、「これまでの仕事を1つにつなぐ話をしてみたい」と講演会を開いた。車椅子に乗って登場した吉本さんは2000人を超える聴衆を前に、自らの思想の核心「芸術言語論」を3時間、休むことなく語り続けた。戦後60年以上かけて紡いできた思想の到達点に迫る』〉 かつて落語家の桂文楽は「長生きも芸のうち」と言ったように記憶しているが、なるほど、吉本隆明も「84歳」という「長生きの看板」を貼り出すことによって「巨人」となりえたか!、というのが率直な感想である。高齢であることや、肢体不自由である(車椅子に乗って登場)ことは、さしあてってこの講演の眼目(これまでの仕事を1つにつなぐ話)とは「無関係」であるにもかかわらず、「長生きしたこと」「不自由な体に鞭打って登場したこと」などが身辺情話として(第三者=番組制作者から)語られることが鼻持ちならなかった。吉本は「言語の機能は、コミュニケーションの手段(指示表出)よりも、感情の表現(自己表出)の方が重要であり、《沈黙》もしくは《寡黙》こそ芸術言語の根幹である」というような持論を展開していたが、日本の古典文学とマルクスを結びつけようとする「思索」の実相は判然としなかった。むしろ、「2千人の聴衆に熱く語った」実像(映像)は、何よりも雄弁(鮮明)に吉本の「老い」を物語っていなかったか。その極め付き、彼は「3時間、休みなく語り続けた」が、その話を自ら「終わらせる」ことができなかったのである。「知の巨人」とは「全く不釣合いな」コピーライター・糸井重里に「支援されて」はじめて「沈黙」することができた、といった按配で、これほど「老いの実態を」納得させれらた場面はない。「老い」と向かい合いながら思索を続けているというのなら、「これまでの仕事をどのように終わらせるか」といった主題のほうが喫緊であり、さしあたって、斯道の先輩でもある文字通りの「巨人」、戦後文学の金字塔と評され「神聖喜劇」の作者・大西巨人との「茶飲み話」でも試みたほうが得策ではなかったか、と思いつつテレビのスイッチをオフにした次第である。(2010.3.14)