梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

釈迦牟尼仏は「母なし子」

 かねてから思っていたことだが、男児にとって「母親」は必要不可欠な存在だ。もし、何かの事情で「母なし子」となった男児は、まともに育つことができない、というのが私の持論であったのだが、「仏教とは何か」(山折哲雄・中央公論新社刊・1993年)という本を読んで、それが全くの誤謬であることに気がついた。なんと、世界の三大宗教に数えられる仏教の創始者・仏陀(釈迦牟尼仏、いわゆるお釈迦様)こそ「母なし子」の典型であったのだ。〈シャカの誕生については、聖者や偉人の場合と同じように神話的な伝説の中で語られてきた。母のマーヤー夫人が胎内に入る白い象を夢にみて、シャカをみごもったというのもその一つである。生まれてすぐ、七歩あるいて「天上天下唯我独尊」といったというのも、そうした伝説の一つだ。むろんそうした話が後世につくられたブッダの神話化の一環であったことはいうまでもない。のちのシャカの伝記によると、かれの誕生ののち七日目で、母のマーヤー夫人は亡くなったという。それから母の妹であるマハー・パジャーパティに養育されることになった。父の浄飯王が亡妻の妹を後妻に迎えたということになるのだろう〉という件を読んで、私の涙は止まらなかった。そうだったのか、お釈迦様もまた、私と同様に「母なし子」だったのか。それならば、よくわかる。どうして二十九歳の時、妻子を捨て、身分を捨て、地位を捨て「出家」してしまったか、その「気持ち」が手に取るようにわかるのだ。「何かが足りない」「何かが満たされない」「私は生きている限り不満足なのだ」といった「不満感」「虚無感」、「このままではいけない」といった「焦燥感」が「出家」を駆り立てる・・・。私にはよくわかる。
 お釈迦様の見解、生イコール苦、「苦」とは、「思い通りにならないこと」、おっしゃるとおり、ごもっともごもっとも、もしかしたら私は「仏教」の根本精神を学ぶことによって「成仏」できるかも知れない。(2010.1.25)