梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

ヒトはなぜ戦争をするのか

 ヒトはなぜ「戦争」をするのか。答は簡単である。ヒトは「戦争をする」ように生まれついた動物だからである。人間の歴史をふりかえればわかるように,ヒトは,いつの時代でも,どこの地域でも,数限りない「戦争」を繰り返してきた。
 「戦争」とは,人間同士の殺し合いのことだが,その前にヒトは「雑食動物」として,周囲の動植物を平然と殺している。「殺す」という行為を日常的に繰り返さなければ,人間は自分の命を守ることができない。それが,「人間の運命」なのである。「殺す」という行為は正当化され,たとえ相手が人間であっても殺してよい場合があるという論理が構築される。
   ヒトが「戦争」をするのは,直接,相手を「食べる」ためではない。しかし,自分の食物を確保するためなら,自分の命を守るためなら相手を殺してもよいという「正当防衛」「緊急避難」の理論が法律的にも許容されている。
しかし,ヒトは「戦争」をしたくない。なぜだろうか。それは「ヒトを殺したくない」という豊かな感性と,殺し合うことは野蛮であり,決して人間生活の役には立たないと考える高度な知性を持っているからである。
 したがって,大切なことは,豊かな感性と高度な知性を持っているにもかかわらず,ヒトはなぜ「戦争」をするのか,という命題について考えることだと思う。そのためには,ヒトはこれまでどのように「戦争」を行ってきたか,という行動の分析が必要である。ヒトは「戦争」を行うために,「軍隊」という暴力集団を組織し,能率的に相手を殺傷できるよう軍事訓練を重ねる。さらに,殺し合いに使うために有効な破壊兵器の開発・製造に努める。これらの行動は,「分業」で行われることを見落としてはいけないと思う。
 「軍隊」は,どのように「戦争」を展開するか,作戦を考える参謀・司令本部と,その計画・命令を実行に移す前線の実戦部隊に大別される。
 つまり,「戦争」はひとくちに「殺し合い」だといっても,実際に殺戮の地獄図を見るのは,最前線の「無名戦士」に過ぎないのである。第二次世界大戦末期,沖縄近海で日本の特攻機と戦った元アメリカ海軍中尉・ウイリアム・バーンハウスは,「年輪を重ねるにしたがい,私には幾つかにことが明確になってきた。一つは,戦争は年老いた軍人が行うという事,二つ目は,その戦争で死ぬのは若者であるという事,そして,三つ目は,最初の一と二は不変であるという事である。」(「我 敵艦ニ突入ス」・扶桑社・2002)と述べた。私たちは,この無名戦士が年輪を重ねて看破した「戦争」の真実から目をそむけてはいけないと思う。そして,イラク戦争は「まだ終わっていない」。
(2004.3.13)