梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「海自3曹15人の同僚」の《感動》

 10月19日付け読売新聞(3時3分配信・niftyニュース)に、「海自3曹死亡『教官の管理不十分、制裁は否定』・・・」という記事が載っている。私は、その中で海自3曹の「死」に直接関わった、「15人の同僚」の言動に注目する。記事によれば、〈事故調査委の調べによると、3等海曹の男性は9月11日に別の隊に異動する予定で、同僚15人は2日前の同9日、「送別行事」として、男性との1対15人の徒手格闘訓練をしたいと教官に申し出た。教官は、5月にも異動直前の別の隊員が同じ格闘訓練をして前歯を折るケガを負っていたため・・・〉〈実際の訓練では、2人の教官が立ち会って、うち1人が審判を務めたが、男性は何度も倒され、14人目のパンチがあごに当たって転倒。16日後に死亡した〉〈15人の同僚は、事故調査委の調べに「5月の格闘訓練が感動的だった。もう一度同じ形で送り出してあげたかった」などと説明、男性へのいじめやいやがらせも「なかった」と否定しているという〉ということである。要点は、�1対15人の徒手格闘訓練を「送別行事」として申し出たのは「15人の同僚」であった。�実際の訓練で、「15人の同僚」は(7人目を終えた時点で男性が棒立ち状態であったにもかかわらず)、何度も倒し続けた。�「15人の同僚」は「5月の格闘訓練が感動的だった」と説明している、という(言動の)「事実」である。
 海自の「特別警備隊」は「臨検」「武装解除」などが主任務のため、「格闘戦」になることが多い。要するに「生え抜きのスーパーマン」で編制される部隊ということ、いわば「15人の同僚」はエリート中のエリート、一方、その集団から「送別」される「異動直前の隊員」とは、いわば「落伍者」「脱落者」に他ならないということは、誰の目にも明らかである。「15人の同僚」は、「5月の格闘訓練は感動的だった」と説明したそうだが、どこが感動的だったのか。何が感動的だったのか。倒されても、倒されても立ち上がり、前歯を折られても「群がる相手」に立ち向かった「不屈の精神」に感動したのだろうか。もし、そうだとしたら、3等海曹の今回の「死」は、「15人の同僚」を「恍惚の境地」(感動の極致)にまで導いたことになるだろう。
 いうまでもなく、「格闘訓練」の目的は、「敵を殺す」ことであり、それが自衛隊員の「主たる任務」である。そのことを全うするためには、世間の「いじめ談義」などには「関わっていられない」というのが、「15人の同僚」並びに各関係者の「本音」ではないだろうか。(2008.10.19)