梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

団塊世代の役割

 団塊世代が定年退職を迎え、「第二の人生」を歩みはじめている。彼らの「第一の人生」は、その大半が戦後日本の発展(高度経済成長)のために費やされたことは間違いなく、その結果、現在の「豊かで平和な日本」が誕生したといっても過言ではないだろう。だがしかし、「もう役割は終わった。後は悠々自適・・・」といえるほど現実は甘くない。戦前・戦中世代の先輩が、「第二の人生」をどのように過ごしているか。平均寿命が伸びたとはいえ、その分、「人生の質」(クオリティ・オブ・ライフ)も向上したといえるだろうか。まさに「自分の最期をどのように迎えるのか、そんな決断をしなければならない時代になってきた」(東京新聞5月20日・社説)のである。したがって、団塊世代の課題は「第二の人生をどう生きるか」ではなく、「どう死ぬか、その手本を示すために第二の人生がある」と考えた方がよいのではないか。碑文谷創氏は、フランスの哲学者ジャンケレビッチによる死の分類「『一人称の死』(自分の死)、『二人称の死』(近親者の死)、『三人称の死』(他人の死)」を紹介し、「圧倒的に立ち遅れているのは二人称の死、つまり家族の問題である」「近親者と死別した人の悲嘆(グリーフ)はいままで充分に顧みられることはなかった」(「変わる死 変わる葬送」・東京新聞5月22日夕刊・6面)と述べ、死や葬の孤立・浮遊化を案じている。しかし、「三人称の死」(他人の死)のグリーフを「戦意高揚意識」へと転化した、戦前・戦中世代よりも「まだ、まし」とすべきではないだろうか。「第一の人生」において、団塊世代は一人の「戦死者」も出さなかった。戦争による(直接的な)「殺人」も行わなかった。そのことを確実に次世代に引き継ぐために「どう死ぬか」、その手本を示すことが団塊世代の役割であると、私は思う。  
(2007.5.25)