梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

東海道本線・《「汽車の窓から」(岩波写真文庫)》

 東海道本線で金谷に向かう。JR東日本「大人の休日倶楽部」の割引乗車券利用のため、東海道新幹線ではなく、「特急踊り子号」で熱海まで、以後は在来線・浜松行きで金谷まで、という行程である。
 私が初めて鉄道旅行(単独)をしたのは、小学校4年(昭和29年)の夏休みであった。東京駅15・16番線ホーム発の鈍行「米原行き」、静岡まで約4時間の行程だったと思う。当時、「岩波写真文庫 汽車の窓からー東海道ー」(1954年・岩波書店)というガイドブックが刊行されており、その内容は、汽車の窓から見聞できる「景色」のスナップ写真で埋め尽くされているが、随所に散りばめられた「解説文」も素晴らしい。ちなみに、冒頭の序文は以下の通りである。〈全国には道も鉄道も沢山あるが、日本人には東海道が最も親しみ深いものになっているようだ。われわれは広重のあの美しい絵のことを心に描きながら、汽車の窓から眺めた現代の東海道を捉えてみたいと思ったのである。はじめは割合楽に出来ると思ったこの計画が実は意外の苦心を要した。たとえば編集者とキャメラマンとは十数回往復しなければならなかったほどである。われわれは年中同じ所を通っていても、窓外の景色を正確には知っていないのだということを、この本を作ってみてはじめて知った。それだけに新しく試みられた、このカメラ東海道図巻は、人々のために楽しい伴侶となるだろう〉。そのとおり、私自身、東海道本線を利用するたびに、その本の風景写真と窓外の景色を「照合」して楽しんだものである。ただし、当時はまだ小学生、見るのは写真ばかりで「解説文」は無視していたが、今、読み返してみると大変興味深い。汽車が東京駅を滑り出してまもなく、右は「千代田城伏見櫓」「国会議事堂の尖塔」、左は「銀座」「日本劇場」「汐留貨物駅」を紹介しながら、以下のような文章が載っている。〈無計画にひろがってしまった東京という街は、おせじにも美しいとはいえないが、それでも皇居の周辺と、丸ノ内・有楽町あたりのビル街の持つ偉容から、人は大都会の無言の圧力を感じとるに相違ない。悠久の静けさをたたえた濠の水に、古松の枝と近代的ビルの影が互いに交錯してうつる風情は、かたわらの並木の列にそって、色と型のバラエティーを展開しながら走り去る、絶え間ない自動車の流れとともに、東京のあたえるリズミカルな印象として、旅人の心に深く刻まれることだろう〉。けだし名文である、と私は思う。 今、あらためて、その本の「風景写真」を見ながら、「照合」すべき窓外の景色を探し出そうとしても、それは全く不可能。「無計画に広がってしまった東海道沿線の街々は、おせじにも美しいとはいえない」のが「現実」であろう。とりわけ、私にとって印象深かった「根府川渓谷」(根府川~真鶴・右側)、「東田子の浦駅構内からの冨士」(右側)、「浜辺に打ち寄せる駿河湾の白波」(由比~興津・左側)等々の風景は、「今は昔の物語」・・・。取り返しのつかない「思い出」をまさぐりながら目的地(金谷駅から徒歩5分・大井川娯楽センター)に着いた次第である。(2009.6.30)