梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

石原慎太郎氏の「晩節」

 午後からNHKテレビ「国会中継」(衆院予算委員会)を見ていたら、「次世代の党」とやらの最高顧問・石原慎太郎氏が質問者として登場した。例によって、(政治家の中で)オレが一番《物知りだ》という態度で曰く「憲法の前文には、日本語として(文法的な)誤りがある。・・・『平和を愛する諸国民の公正と信義《に》信頼して』という一節の、助詞《に》は《を》でなければならない」・・・。そこまでの議論(主張)は肯けるが、《だから》「憲法を改めなければならない」、しかも、その程度の「一文字を変えるくらいなら、安部首相の一存(権限)でできるはずだ。そのことを《お願い》して私の《質問》を終わります」といって退去しようとした。委員長から「安部首相の答弁を聞くように」(確かな文言は明らかではない)と制止されて、その場にとどまったが、自説を「一方的にまくし立てるだけで、相手の話を聞こうとしない」、高邁不遜な態度は「次世代の党」の有様を象徴しているようで、たいそう興味深かった。安倍首相いわく「先生の御指摘はごもっとも、しかし私の一存で変えることはできない。どうか《に》の改正を《にん》(忍)の一字でお待ちいただきたい」(答弁の確かな文言は明らかではない)。たったこれだけの質疑に15分も費やす「国会審議」とは何ぞや。その不毛さに開いた口がふさがらなかったが、それにしても、最高顧問・石原慎太郎氏の「晩節」(耄碌)はあわれである。憲法前文の「文法論議」は、すでに2011年、(ブロードバンドの世界では「決着」がついているというのに、今さらそれを蒸す返したって、どうなるものでもなかろうに・・・。ましてや、法律の条文を首相の一存で変えることなど、とうてい不可能なことは、中学生だって知っている。挙げ句《に》、「お願い」と「質問」の区別もわからぬ「体たらく」では『次世代』への指針を示すことなど「夢のまた夢」、おもわず「御愁傷様」とつぶやきながら、テレビのスイッチを切った次第である。(2014.10.30)