梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「老いる」ということ・Ⅶ

 「ここを過ぎて哀しみの市(まち)」とは太宰治の言葉だが、その意味が、ようやく実感としてわかるようになってきた。「哀しみ」とは喜怒哀楽の一つ、私たちにとって、最も切ない、しかし大切な感情であろう。人は、思いが叶えられない時、自分が必要とされていないと感じた時、そしてまた、自分で自分を必要としなくなった時、哀しみを深くする。すること、しなければならないことがある間は、そのような感情が大きくなることはない。しかし、ひとたびそのことが失われると、たちまち心の中は「哀しみ」で満たされてしまう。
 私は、しばらくぶりで昔の街を訪れた。そこは小学校、中学校時代を過ごした場所、当時は戦災の傷跡も生々しく、住宅地でありながら至るところに防空壕跡、倒れた門柱、瓦礫の山が築かれていた。子どもたちは、わずかな空き地を見つけて、草野球や泥合戦を楽しんだものだ。簡素な木造家屋が建ち並び、所々に点在する駄菓子屋で交流を深め、ときには駅前の商店街まで遠征して、本屋、電気屋、写真屋、玩具店、文具店、眼鏡店、乾物屋、金魚屋帽子屋、硝子店・・・等々を巡り歩いた。欲しい品々を見つけても、手にすることは滅多になく、「見る」ことだけが楽しみであった。
 爾来、六十余年が経過したが、昔の街は一変していた。わずかに修道院、和菓子店、煎餅屋がそれぞれ一軒、銭湯だけが存続していたが、外見は様変わりして昔の面影はなかった。父に連れられていった寿司屋、蕎麦屋もない。そんなとき、ふと「ここを過ぎて哀しみの市(まち)」という冒頭の言葉が浮かんで来たのである。過ぎ去った昔は二度と戻らない。湧き上がるのは「哀しみ」という感情だけである。蛇足を加えれば、私の「喜怒楽」は遠い彼方へ消え去った。
 「老いる」とは、そういうことである。
(2016.8.30)