梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「国境」を決めるのは誰か

 「北方領土」であれ、「尖閣」であれ、「竹島」であれ、国境を決めるのは「第三者」ではない。当事する国のうち「強者」が決めることは、世界(歴史)の常識であろう。日清・日露の戦役で、日本の領土は拡大したが、先の大戦での敗北により縮小した。大切なことは、領土の拡大が、日本人に何をもたらしたか、という観点であろう。その領土を守るために300余万人の命が奪われたのであった。一方、戦後60余年、日本人は「戦争を放棄」し(させられ)、懸命な復興に取り組んだ結果、社会は徐々に発展、今日のような繁栄を築きあげることができたのである。「強者」ではなく「弱者」になる(強いられる)ことによってもたらされた、この「現実」をどのように評価するか・・・。それは「個人の自由」である。「繁栄」を維持・継続するために、再び「北方領土」を奪還、「尖閣」「竹島」を「死守」するのもよい。「金持ちけんかせず」の要領で、異国の「民族主義」(反日感情)を「どこ吹く風」と受け流すのもよい。いずれにせよ、「繁栄」などという代物は、所詮は「砂上の楼閣」に過ぎず、永遠に続くことなどあり得ない。「おごる平家は久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」という無常観こそが、日本人の財産(世界文化遺産)なのだから・・・。「目には目を、歯には歯を」という(政治的)スローガンは、言うまでもなく「弱者」の教条に過ぎない。いじめられ、虐げられた子どもに、「やられたらやり返せ」と叱咤する親の心情と大差ないだろう。さて、日本人は「憲法」を改正、再び「強者」への道を歩み始める、そのことを誰よりも望んでいるのは、他ならぬ(内外の)「戦争業者」(武器製造・運搬・兵站調達等々、軍事関係業者)であることは間違いない。彼らにとって、「繁栄」とは「戦争」であり、どちらが勝とうが負けようが、何人の命が奪われようが、そんなことはお構いなし、要するに自社の「製品」が売れればよいからである。「北方領土」であれ、「尖閣」であれ、「竹島」であれ、国境を決めるのは「強者」である。そしてまた、そうした「決着」を誰よりも望んでいるのは、決して表舞台には登場しない(闇の)「戦争業者」であることを見落としてはならない、と私は思う。(2012.8.18)