梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

「高群逸枝全集 第一巻 母系制の研究」(理論社・1966年)通読・33

《其一0安房国造》
【要点】
 安房国安房郡で「阿波国造、志賀高穴穂朝御世、天穂日命八世孫禰都侶岐孫、大伴直大瀧定賜国造」と見え、出雲系であるが、此氏の氏姓大伴直は、阿倍系膳大伴部の直轄部民、または管理委託者であることに由来しているのであろうか。
 この地には、上古より齋部氏に率いられた安房忌部氏が移住した。斎部氏および安房忌部氏は、この地の命名者であり、最古の家柄であって、安房大神を奉斎しているが、別に国造社なるものがあって、祭神は大伴氏の祖神天忍日命、これに天富命を合祭すと伝えられる。
《其一一上毛野国造》
 この国造は、下毛野国造とともに東北最大の国造であるから、それ自身多祖を生ずることはなく、武蔵国造と同様、多数の異分子を自族内に抱容している。
 もと此氏は田邊史であったが、天平勝寶2年改めて上毛野公を賜い、後、弘仁元年朝臣姓を賜うたこと、その出自は崇神帝裔であるというのである。しかるに田邊史は、右京諸蕃に漢王知聡の後と見える帰化族である。この帰化族が上毛野氏を招婿して、その所生の子によって祖変し、父系へ改名したものであることは疑いがないと思われるがが、記伝、考証をはじめ、従来の史家の説は、ほとんど仮冒説に傾いている。
 このほか、蝦夷部曲で、上毛野氏へ改名の者は多い。
要するに、毛野氏の如き名族の国造は、物部、中臣、大伴、阿倍、蘇我等の中央貴族と同様、氏作り、部作りの必要から広く異類の民と婚して自系を付与し、拡張するのである。それゆえ、此氏は多祖においてよりも、複氏、賜氏姓等において、最も特徴的である。
《其一二下毛野国造》
 上毛野氏同様、北地の部民を多く同系化している。また、此氏には近江の漢族志賀忌寸があって、下毛野朝臣と改名、崇神皇子豊城入彦命の苗裔と称している。系を得て祖変したものに外ならない。
《其一三尾張国造》
 この国の国造は、熱田神宮奉斎をめぐって制定を見るに至ったと思われるから宮簀媛を国造の祖とする伝えは、真実の伝えであると思われる。女性を国造に任ずる例は、中古に至って特いに多く見受けるが、これは記録の完備に負うもので、中古独特の現象と見ることはできない。むしろ上古ではいっそう女性の国造を必要としたのであろう。国造政治は祭政一致の政治形式を襲いだものであるから、祭事の総主として各国造の刀自が当たったであろうことは、疑いがない。その刀自の司る祭事を中心として、其の男、あるいは弟、時には父が執政する。
 尾張国造家では、宮簀媛が祭主であり、父の乎止輿命がこれを補佐して執政したであろうことが窺われる。
 尾張国造の姓は連であるが、天武紀13年條に、連を改めて宿禰を賜うと見えている。 此氏の基底をなすのは、一は海部族で、一は旧稲置族である。
 海部族は、崇神妃大海姫の名代の民であるともいうが、大海姫は海部の名を有した海人族の祭主として、大和から一族を率いて下られたものではあるまいか。大海姫を中心とする大和の葛城族の大分岐と、密接な関係を有する族であることは疑いがない。
 旧稲置族というのは、天孫本紀に「尾張大印岐女子真敷刀婢」とある氏で、真敷刀婢が乎止輿命を迎えて生んだ子は稲種命である。乎止輿命は同族海部の女に宮簀媛を生み、さらに、尾張の大稲置族の女に稲種命を生んだのである。
 稲置族は、尾張大稲置と称して、尾張国の先住者で、総支配者であったと観察される。そこへ乎止輿命が婿となって、稲置族中に稲種命を生んだ。稲置族はこの時以来祖変して火明系を称し、尾張大稲置から尾張国造へ昇格した。しかし、国造家の祭政は、純火明系の海部族より宮簀媛が来たって、同系乎止輿命とともに、執行した。
 要するに、尾張国造は、大国主系尾張大稲置の財政的基盤の上に、火明系海部氏の出自と主権を奉じて、創始されたものである。稲置族は世々農を業とし、熱田神宮の摂社御田神社は昔より此族の祭祀にかかる神社であろうと思われる。また、稲種命は稲田根命であり、久米氏を従者としている。久米氏は尾張氏の海部氏なるに反して山部氏である。
 稲置族は山祇族の流であって、尾張なる氏名もこの族より発祥したものであろう。尾張は小墾、または尾墾であるが、この族は、以前には、大和葛城の高尾張を開拓した族であろう。高尾張というのは葛城地方の旧名である。
 高尾張の開拓者たる農民の一部が分岐して尾張地方に移住、開墾に従事し、その首長を尾張大稲置といったのであるが、そこへ最初葛城地方でこの族と混血した火明系は、さらにその縁故を辿って、尾張地方へ移住し来たり、稲置族と婚し、完全にその族を祖変せしめて、ここに火明命を祖とする尾張国造家が成立を見たわけである。
 これらの経過は、すべて多祖現象をめぐって行われたことであり、例えば稲置族は元系たる出雲出自と、新系たる火明出自の二祖を生じたのを、前出自は没してこれを単に神として祭祀するにとどめ、新出自を奉載して尾張国造を起こすに至ったのである。


【感想】
 ここでは千葉県(安房国)、群馬県(上毛野国)、栃木県(下毛野国)、愛知県(尾張国)の状況について述べられている。 
 安房国造は出雲系、上毛野国国造は帰化族および蝦夷部曲、下毛野国造も帰化族、尾張国造は、海部族と稲置族によって形成されたということは「わかった」が、それ以上の詳しい内容はわからなかった。まず、「祖変」ということがどのようなものなのか、祖が何から何へ変わったのか、「多祖現象」とはどのようなものなのか、祖がどのように増えていくのか、また、当事の「招婿婚」がその現象の基底にあって、どのように働いているのか、ということが具体的にわからない。要するに、著者が言わんとする肝腎な要点が「わからない」ということである。情けないかぎりだが、先を読み進めることで少しでもわかるようになりたい。(2020.1.11)