梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

私の戦後70年・文芸部

 高校では文芸部に所属した。今、私の手元には当時の文集、詩集が残存している。作品はいずれも青春特有のメランコリーに覆われている。表現は生硬、未熟で採るに足らな代物だが、「若気の至り」の記念として一編の詩を記したい。《かげろう》十二月になると/街角から/白いかげろうが/立ち/祈る/平和/もう誰も知らない/戦争とやら/ある筈なのに/消してはならない/消えはしない/あの貫通銃創が/その羊のオーバーに/かくれているはずなのに/人は黙って/すりぬける/ああ/誰が平和を/祈るというのか/かげろうよ/切断された大腿を/売ることはできない/祈っても/来ない平和に/忘れ得た/人々の/とりすまされた軍服を/引き裂いて/そのあざやかな/傷痕を/あらわにするのだ/十二月の街角の/白いかげろうは/ゆらゆらと/誰も知らない/平和を祈る(1962.12.1)【補説】「かげろう」とは傷痍軍人のことである。敗戦国日本の「責任」は、戦勝国に対して果たせばよいというものではない。東京大空襲、広島・長崎での原爆投下(非戦闘員に対する無差別テロ、大量虐殺)を招いたのは誰か。その究明を抜きにして「平和を祈る」ことはできない。(2015.4.29)