梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

私の戦後70年・美術の授業

 高校の授業の中では「美術」が好きだった。石膏像のデッサンから始まり、水彩の静物画、風景画へと進み、デザイン、陶器皿の絵付けで終わった。一つの作品が完成すると、それを並べて、担当のT先生が批評する。先生は「事物をよく見なさい、頭の中で描いてはダメだ」と言いながら、生徒の作物を楽しそうに鑑賞していた。私は、墨のデッサンでアグリッパ胸像を描いた。先生は「ウン、よく見ている」と肯いたが「でも右下のK・Iというイニシャルが大きすぎる。作者の我欲が現れてしまった」と評した。心中を見透かされて私は脱帽した。デザインは「線を使ってデザインをする」という課題であった。私は、画面全体を黒く塗り、その上に赤や緑、黄色の絵の具を垂らし着けた。先生は一言「見事だ」と評した。生徒の一人が「その作品には線が一つも描かれていませんが」と質問した。先生は「色と色とが接する所が線だ。定規やコンパスで描くという常識にとらわれてはいけない」と答えた。教職を退かれた後、T先生は画家になった。晩年、都心で個展が開かれ私も訪れたが、言葉を交わすことはできなかった。。壁に掛けられた先生の作品には300万円の値がついていた。(2015.4.28)