梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

私の戦後70年・弁当

 中学に進学すると、昼食は弁当持参となった。裕福な家庭の生徒は魔法瓶にお茶を入れ、白米用の弁当箱の他に、卵焼き、鮭、ウインナーソーセージ、サラダなどの総菜用の弁当箱が加わった。リンゴ、ミカンなどのデザートを持参する者もいた。弁当が準備できない家庭の生徒は「パン券」を利用した。それに記名して指定の箱に入れておくと、袋に入ったパンを業者が届ける仕組みであった。私は「パン券」組だったが、時折、親類の女性が弁当を用意してくれることもあった。隣席のM君はいつも自作の弁当を持参した。大きなアルミの弁当箱に麦飯を詰め、その上に煮干し、スルメなどを乗せて醤油を塗してある。ある時などは、丸い海苔せんべいが一枚乗せてあるだけだった。私はたまたま作って貰った弁当の中から総菜を提供した。M君は「サンキュー」と言って、肉じゃがの一片を美味しそうに噛みしめた。その光景が走馬灯のように浮かんでくる。(2015.4,23))