梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

私の戦後70年・音楽の授業

 中学校の音楽の授業は苦痛だった。先生は見るからに軍人上がりといった風貌で、雰囲気は厳格そのもの、課題曲の歌詞を長々と説明した後、ニコリともせずピアノを伴奏して生徒に歌わせる。集中力が薄れてざわつきでもしようものなら、たちまち「そこのお前、何をしているんだ!」という怒声がとんでくる。私は「音を楽しむ」どころか、緊張と苦痛の連続で、音楽の授業がある日は「不登校」気味になってしまったが、中でも歌唱のテストは最悪だった。2年の3学期だったか、フォスターの「オールド・ブラック・ジョー」を階名で歌うテストがあった。一人一人、ピアノを弾く先生の横に立って、「ソミソ、ソミソ、ソソラドシラソ・・・」と歌うのだが、私は恥ずかしさと緊張で声が出ない。やっとの思いで、囁くように声を絞り出したが、いつもは決して笑わない先生が、思わずプッと吹き出してしまった。無表情で厳格な先生を笑わせたのは、私一人かもしれない。(2015.4.23)