梨野礫・著作集

古稀を過ぎた老人が、これまでに綴った拙い文章の数々です。お読み捨てください。

私の戦後70年・学区外通学

 昭和27年の大晦日に祖母を亡くし、父と私は文字通り「父子家庭」の生活を始めた。 申し込んでいた公団住宅が当たったので、これまでの間借生活は終了、他区に新築された鉄筋コンクリート4階建ての公団住宅に転居した。小学校3年生の時である。当然、転校しなければならないが、父は担任の先生に頼み込み、特別に「学区外通学」が許可された。通学時間は1時間に延長、バス通学を余儀なくされた。しかし「これまでの友だちと別れずにすむ」と思うと、少しも苦にならなかった。混雑するバスへの乗り降りもスムーズにできるようになった。この「学区外通学」は、中学校までも延長された。通学時間はさらに延長したが、竹馬の友と同じ学校に進学できることは私にとって望外の喜び、小学校、中学校、区教育委員会の異例な計らいに感謝している。今思えば、父と私の「父子家庭」自体が「異例」だったための「特例」かもしれない。(2015.4.18)